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2014-09-27
こんばんは。
先程、帰宅しました。
帰宅早々にシェアメイトの仕事話?演説?を聞いて?聞かされてました。「聞きたい?」って笑顔で言われ、有無を言わさない手招きでリビングへ通され、ソファに座らされ、最後まで聞いてきました。そうしての今、自室でこれを綴っているわけですが、こうした何気ない日常が幸せなんですよね
幸せの沸点が低いのか、単純なのか自分でもわからなけど、ただただ楽しくて、面白くて、心から笑える、この日常が好きなんです。うん、単純なんでしょうね。だから、あまり苛立ったり、怒ったり、嘆いたり、悲しんだりが無い。それよりも何事も『楽しい』に変換しちゃうので、嫌な出来事も数分後には笑い話のネタになっているという。
こんな話をすると、たまに無理矢理に不幸事から目を逸らしているのではないか?または、無理矢理に自分の不幸な日常を肯定しようと躍起になっているだけではないか?なんて言われるのだけど、その考え自体が間違っている気がしてならないんです。
だって、これじゃまるで『風俗産業に従事する人間=不幸でなきゃいけない』ではないですか?
様々な理由から風俗を選び、脱いで舐めて舐められ股を広げ、そこから得るお金で日々をしのぐ……当たりの風景。なんら間違ってはいません。だけど、私みたいに楽しんでいる人間もいるのも知って欲しいな、と。同性愛者の私が男性相手の風俗をして、しかもそれが楽しいなんてなると、もう訳がわからないでしょうが少なくとも私は楽しんでます。
日常の風景として、生活として、仕事として、特に疑問も不満も焦燥もなく風俗産業に身を置いています。哀愁だとか、悲壮だとか、そんな言葉は第三者が私を見て勝手に思う感想なので、そこは放っておきます。
たまに、俗に言う「普通のお仕事をしているサラリーマン、OL」または「学生や主婦」このような風俗経験や、風俗の世界から程遠い日常を過ごしている人が裸売りを生業としている人間に、ありとあらゆるイメージを持つのは仕方がないし、そりゃ当然だと私も思いますが、『元風俗嬢』『現役風俗嬢』が、あれやこれやと彼女は不幸・私は不幸を撒き散らすのが、どうも苦手なんです。
だってこれじゃ、不幸の押し売りみたいだし、自分たちで風俗嬢=不幸、この図式を作り上げている。で、人に不幸そうだと言われたら、そんな事ないし!となる。自分で不幸というのは良いけど、人に言われるのは嫌、だなんて我儘だし、不幸な自分を見せて何がしたいの?とも思う。
どの仕事でも共通するのは誰も助けてくれない、という事。助言や救いの手は差し伸べてくれても、最終的には自分自身の意志と努力で乗り越えるしかない。前を見据えるのも、後ろばかり見るのも、前進するのも、後退したり立ち止まったまま動かなくなるのも、それは全て自分次第。そして、もう一つ言えるのは、風俗に就いていなくとも不幸な人生を歩んでしまった人間はいる。という、ごくごく当然のようにありふれた日常風景はどこにだってあるのですが、なんでしょうね。
何事も自分自身の考え方次第だと思うのですが、どうにもこうにも風俗嬢は=で不幸に結びついていなきゃいけない、なんてイメージが深く根付いてしまっていて、そこを払拭するのは並大抵の事ではないような気がします。
いいじゃないですか。楽しんで股をおっぴろげている風俗嬢がいたって。快楽云々より人との戯れを楽しんでいる風俗嬢がいたって。仕事の話を嬉々として喋る風俗嬢がいたって。
とはいえ、昔は私も溜め息をついて一人不幸に浸って酔っていましたが。いつまでもそんなんやってたら疲れるわ。
この間、母に風俗コラム書いてるよーって言ったら、アンタの十八番じゃない、あれこれ書けるんじゃないの?頑張りなさいね。との返事でした。私の場合、理解ある人間が周りにいるからなんでしょうが、誰もがこういった感じなので、だから余計に不幸臭が無いのかも。
長ったらしくなったので、今夜はこのへんで。
明日はネットラジオで風俗話をしてきます。